何でもかんでも礼拝されるべきではない

MORAL LIFE

私たちはみな何かを礼拝していますが、その「何か」がみな礼拝されるべきものとは限りません。

スポーツの試合にいるファンをよく見てみたことはありますか?ファンたちは、頭のてっぺんからつま先までペイントしたり、おかしな服装で身を包みやって来ます。そして、狂ったように怒鳴り、叫び、ブーイングし、応援します。場合によっては、チーム同士で殴り合いのけんかが起こります。人生にまったく意味のない試合をめぐり、人が殺されたことさえあるのです。

また、ライブやコンサートはどうでしょうか?女の子たちはみんなキャーキャー叫びながら、有名人に触れようと腕を伸ばします。失神し倒れてしまう人さえいます。真面目な話ですよ!涙が頬をつたい、鼻ちょうちんが膨らみます。公衆の面前で見苦しい泣き顔ですよね。

人々はなぜ、身体的、肉体的な反応が出るほど異常なまでに、このようなものに取り憑かれてしまうのでしょうか。それは、彼らがこういったものを礼拝しているからです。

それは、このような理由です。人間として生きる以上、私たちは常に礼拝者なのです!どんな人でも何かを礼拝します。それは仕方ないことなのです。それが人間というものなのです。人間とはそういうものなのです。私たちはそのように造られたのです。

あなたが最も時間をかけて考え、行っていること、また関心の大部分を占めているものが、あなたの礼拝の対象なのです。

あなたは何を礼拝していますか?

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Categories: christianity

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