教会での礼拝

教会で礼拝中、たとえば賛美の時などに、他の人を見たことはありますか。両手をあげて、目を閉じて、揺れている人がいる一方で、ポケットに手を突っ込んだままの人もいるのは、どうしてなのでしょう。なぜ、歌うのがそんなに好きではないから、教会で神を礼拝できるこの時間もそんなに好きではない、と認めてしまう人がいるのでしょうか。

しばしば、人々は礼拝のあと教会を出ながらこんなふうに言います。「今日の曲はあんまり好きじゃなかったな」「今日はただ、そこまで礼拝の気分にならなかっただけ」また「あの賛美者とか聖歌隊はあんまりよくなかったよ。あれじゃ興ざめだね」

礼拝は、あなたのことでも、聖歌隊のことでも、歌われた曲のことでもありません。私たちが忙しい生活の中で時間を割いて、神がどのような存在であるか、また神が私たちに何をしてくださったのかに対する応答です。礼拝は、深い、内なる魂の反応なのです。

時には、場違いに感じ、信じきれず、神に対して疑問を抱く日もあるかもしれません。人生のいろいろなことが思い通りにいかず、神に怒りを覚えることさえあるかもしれません。しかしだからと言って、教会に入り、ドスンと座り、腕を組んでしかめっ面をしていいことにはならないのです。

歌われている曲の歌詞をスクリーンで見ることが、神との会話に入ってゆく一つの素晴らしいきっかけになります。納得できない歌詞があるなら、神に伝えましょう。神が本当にその歌詞のままの御方であることを教えて頂けるよう祈りましょう。

礼拝は必ずしも、後ろの席にいる年配の方のように、大声で音を外しながら歌うものというわけではありません。ただ神様の臨在の中で、あなたが持てるすべてを捧げるだけで良いのです。



Categories: christianity, japanese

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